強い製造業を支える“三現主義”とは?
デジタル技術でその実践体制を拡張

日本の製造業は、卓越した品質管理と生産性向上に向けた飽くなき追求を背景にして、世界をリードする競争力を築き上げてきました。製品を開発・生産する業務では、扱う製品や市場環境などの状況・状態が常に変化し続けます。

品質や生産性を常に高レベルで維持するためには、担当者一人ひとりが思い込みや既成概念を排除して適切な意思決定と行動を行うために、エビデンス(実際の具体的証拠)を基にした状況把握を徹底する必要があります。こうしたエビデンスに基づく状況把握は、「現場」「現物」「現実」で起きていること直視した業務改善を推し進める“三現主義”として製造業が大切にすべき価値観としてまとめられています。

現在では、意思決定の「原理」「原則」の徹底遵守の重要性を加えた、“五ゲン主義”として拡張され、多くの企業の生産現場で実践されています。市場環境や技術が変化し、製造業で生み出す製品やビジネスモデルが進化した未来になっても、エビデンスに基づく適切・客観的・安定的な意思決定の重要性は変わることはありません。ただし、現代の製造業が抱える課題や経営環境の変化によって、これらの主義を実践する際の手段として、業務をデジタル化した現代的アプローチが求められるようになりました。普遍的価値観である“三現主義”や“五ゲン主義”の、現代的実践体制の構築が求められるようになりました。

この記事では、製造業が直面する意思決定基準の属人化や人材不足などの課題、さらには製品ライフサイクル全体での価値創出、グローバル化、サステナビリティへの要求の高まりなどビジネス環境の変化に対応する、新たな三現主義や五ゲン主義の姿について解説します。

 “三現主義”は、強い製造業に向けた永遠の大原則

“三現主義”は、強い製造業に向けた永遠の大原則

製造業の競争力強化に向けた、エビデンスの重要性

日本の製造業は自他ともに認める“ものづくり大国”です。新興国の存在感が増した現在においても、確実に高い競争力を維持しています。その背景には、品質管理と生産効率の継続的かつ揺るぎない追求があると言えるのではないでしょうか。

日本の製造業の強みは、日本の製造業に根付く伝統的価値観によって支えられています。その日本の価値観を明文化したものが、「現場」「現物」「現実」の状態・状況の把握に基づく業務改善を何より重要視することを表現した価値観「三現主義」です(図1)。憶測や伝聞に頼らず、現場に赴き、現物に触れ、現実を直視して事実(エビデンス)に基づいて問題解決や現状把握に取り組むそのアプローチは、日本の製造業の中に確実に息づいています。

図1 日本のものづくりの強みを支える「三現主義」

三現主義の実践で目指すもの

三現主義は、品質と生産性の継続的改善手法を体系化した「トヨタ生産方式(TPS)」などの中核思想として、多くの国内メーカーが、本質的課題を把握することによって着実に解決へと向かうための拠り所となる役割を果たしてきました。

現場とは

三現主義の中で重要視すべき要素のひとつである「現場」は、単純に工場のフロアのことを指しているわけではありません。業務を遂行し、問題が発生する「特定の場所」全般を意味しています。

担当者が実際にその場所へと足を運び、報告書やデータだけでは見えない微妙な状況、コンテキスト、あるいは非効率性を自身の目で直接確認。現場担当者との直接的な対話を通じて、机上の空論だけでは到達できないより深い理解を得るために、現場に赴くことが欠かせません。数字で表現されたデータだけで理解するのでなく、起こっている事実を肌感覚で把握して、意思決定や判断の精度を高めることが重要です。

現物とは

「現物」とは、課題に関連している「実際のモノ」、すなわち製品、部品、設備、あるいはデータそのものを意味しています。三現主義の中では、直接手に取り、触れ、測定し、観察することの重要性が強調されています。現物の実際の状態、異常の有無、特性などを、五感を通じて正確に把握。二次情報(報告書、他者の説明など)では、省略されたり覆い隠されたりして見えない可能性のある歪みや欠落を排除するために欠かせない要素です。

一般に、報告書などにまとめられた情報や後ほど紹介するコンピューター上のモデルは、過去の実績やあらかじめ定めた一定のルールに沿って作られています。このため、厳密には表現し切れていない事実が残されています。現物を確認することは、想定外の出来事に対応するために欠かせない作業になります。

現実とは

「現実」とは、現場での観察と現物の確認を通じて把握された「客観的な事実」や「実際の状況」のことを意味しています。思い込みや先入観を排し、問題の真の原因、影響範囲、本質を正確に捉えるために欠かせない要素です。現実を直視することで、対症療法ではなく、根本原因に基づいた効果的対策を立案するために重要です。

一般に、経験豊富なベテランほど、これまでとは異なる出来事が起きると、その事実を受け入れることが困難な面があります。人間の性質として、どうしても正常性バイアスが掛かってしまうからです。異常なデータに触れた時、「そんなはずはない」と考えて黙殺してしまう例もあります。現実を真摯に受け入れることは、意思決定や判断がルーチンワークにならないようにするために極めて重要です。

製造業が抱える課題と事業環境の変化

今、世界の製造業は、様々な事業環境の変化に直面しています。市場と生産拠点のグローバル化に伴うサプライチェーンの複雑化、労働人口の減少、サステナビリティへの要求の高まりなど、製造業が追求し続けてきた「品質(Q)」「コスト(C)」「納期(D)」の改善とは、異なる課題への対処が求められています。そうした変化に効果的かつ効率的に対応するため、IoTやAIといった先進デジタル技術を活用して現場・現物・現実のデータを収集・解析して業務を改善する「デジタルトランスフォーメーション(DX)」の実践が必須になってきました。

DXは、デジタル技術によるデータ活用が前提になっています。このため、人による経験・五感・スキルを基にした三現主義に代わる、新しい取り組みであると考える人がいるかもしれません。これまでの三現主義は、主にQCDの改善に向けて実践されてきたからです。しかし、実際には、DXは、三現主義が現代的に進化した概念であると言えます(図2)。これまで日本の製造業が実践してきた三現主義と現在世界の製造業が取り組むDXは、生産ラインのありのままの様子を直視することを起点として課題解決に当たるという点で、根幹部分が共通しているからです。両者の違いは、これまでの三現主義では主に現場で働く人の属人的な知見やスキルに依存していたのに対し、DXでは情報通信システムの力を借りて現場の人の能力を拡張する点にあります。

図2 DXは三現主義が現代的に進化した概念、根幹は共通

DXは世界中の製造業が取り組むグローバルトレンドです。つまり、世界中の製造業が、DXの取り組みを通じて日本の強みの源泉だった三現主義を世界中の企業が導入・実践しつつあると言えます。日本における製造業の競争力の優位性を維持・強化していくためには、三現主義をDX時代に対応するかたちへと確実に進化させていく必要があります。この記事では、日本の製造業が三現主義を現代的に発展させていくための取り組み指針と具体的な取り組みを解説。スマートファクトリー時代の中での三現主義の役割とその進化について、洞察します。

RX Japan株式会社では、日本最大級の製造業の展示会「ものづくり ワールド」を東京で行うほか、大阪・名古屋・福岡でも開催しております。

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 エビデンスを適切な意思決定に生かす“五ゲン主義”

エビデンスを適切な意思決定に生かす“五ゲン主義”

エビデンスを基に適切な意思決定を下すための“五ゲン主義”

三現主義では、実際の状態・状況を映す動かしがたい根拠、すなわち「エビデンス」に基づいて、課題の解決や継続的な業務改善を目指します。ただし、課題解決や業務改善を実際に達成するためには、具体的な方策を策定し、それを適切かつ確実に実践する必要があります。

DXの実践が進められる以前、こうした方策の策定と実践には、経験豊富な熟練作業者による属人的な知見やスキル、現場作業者の間で暗黙的に共有する現場力が必要でした。ところが現在の製造業の現場では人手不足が顕在化し、より多くの現場でより多くの作業者がよりよい意思決定を下せるようにするための体制作りが求められるようになりました。その実現には、属人的な知見・スキルや暗黙的な現場力を、マニュアルやフレームワークとして明文化した形式知に変えておく必要があります。

こうした製造業の環境変化を背景として、三現主義を拡張した「五ゲン主義」と呼ばれる概念を実践する例が増えてきています(図3)。五ゲン主義とは、デンソーで品質保証部門の改革などに取り組んだ古畑友三氏が提唱した、三現主義を基盤としつつ、より客観的で堅牢な意思決定を行うために二つの「ゲン(原)」、すなわち「原理」と「原則」を加えた発展概念です。三現主義で把握したエビデンス(実際の状態・状況を映す動かしがたい根拠)を、原理・原則に照らして適切かつ安定的に「評価・判断」するための定石を構造化した概念だと言えます。

図3 五ゲン主義、三現主義で得たエビデンスを基に適切かつ安定的な問題解決に利用するための指針

五ゲン主義の中で重視すべきと要素のひとつである「原理」とは、対象となる事象を支配する「根本的な法則や理論」、例えば物理法則、化学反応、工学的メカニズムなどを指します。分析や対策が科学的、論理的な根拠に基づいていることを保証し、非合理的な結論や効果のない対策を避けるために欠かせない要素です。

製造業では、様々な業務で多様な意思決定が行われていますが、歴史と実績があるメーカーほど、属人的な知見やスキルに頼りがちになってはいないでしょうか。人手不足が顕在化するこれからは、こうしたメーカーほど、強みを継続することが困難になります。明文化した形式知にしておくことで、より多くの人材が客観的かつ安定した意思決定を行うことができるとともに、意思決定のスキルを磨く際の拠り所にもなります。

「原則」とは、その状態・状況を把握、対処する際に適用すべき、確立されたルール、基準、手順、あるいはベストプラクティスのことを指します。三現主義に基づいて得たエビデンス(実際の状態・状況を映す動かしがたい根拠)を参照するためのベンチマークを提供し、許容可能な条件からの逸脱の特定や、取るべき正しい行動を判断する際の指針となります。どのような職場でも、業務や作業の遂行が手慣れてくると、原則から外れた独善的判断を加えるように変容していく傾向があります。継続的に原則の徹底が維持できるように徹底することが重要になってきます。

 デジタル化による課題解決と現代的実践体制の構築

デジタル化による課題解決と現代的実践体制の構築

折り重なる多様な課題への対処、デジタル化した三現主義の実践が必須

ここからは、現代の製造業が、多様な経営課題の解決手段となるDXに取り組む中で、「三現主義」を拡張した概念である「五ゲン主義」を効果的に実践していくために構築・運用すべき体制と手段について解説します。

現在、製造業各社は、従来とは異質で多様な課題に直面しています(図4)。まず、労働人口の減少、従業員の高齢化などによる深刻な人手不足への対応も欠かせなくなりました。さらに、環境持続可能性(脱炭素化、資源効率向上、有害物質の排出抑制、循環型経済への対応など)の実現や社会的責任(サプライチェーンにおける人権尊重など)の遵守などへの対応も必須になっています。そして、サプライチェーンが国境を超えてますます複雑化。しかも地政学的リスクを背景にした変化への対応も求められています。加えて近年では、優れた製品を提供するだけでなく、設計から保守、廃棄に至る製品ライフサイクル全体での価値創出も求められるようになりました。

製造業各社は、これらの新たな課題に確実に対応していきながら、厳しい市場からの要求に応え、熾烈な競合との競争に勝ち抜くビジネスを行う必要に迫られているのです。

図4 製造業が抱える課題が複雑化、対処法の形式知化とICT活用が必須に

製造業の企業が継続的に競争力を維持・強化させるためには、これまでと同じ体制・手段で三現主義や五ゲン主義を実践しただけでは成果を上げられなくなりつつあります。取り組むべき課題が、より大規模化・複雑化し、未経験・想定外の課題への対応が求められるようになったからです。

いかに優れた知見・スキルを持つ人であっても、五感や知覚能力、判断能力には限界があります。直面している課題を解決するためには、人の能力をICTによって補うことで拡張する、デジタル化した三現主義や五ゲン主義を実践可能な仕組みを構築・実践する必要があります。

人間の五感や判断力の限界を超える、デジタル化した三現主義

ICTを活用することによって、三現主義の各要素、すなわち「現場」「現物」「現実」それぞれで、実践の狙いと具体的手段が変わってきます(図5)。

図5 DX時代の「現場」「現物」「現実」

DX時代の現場

「現場」では、現実の現場では把握できなかった事実も合わせて、デジタル空間内に再現した現場を通じて把握できるようになりました。

現実の現場に赴くためには、距離・時間・コスト・安全性・アクセスの制約が伴います。このため、一人の熟練した技術者が、グローバル化した生産拠点それぞれにキメ細かく目配りしたり、人が踏み込めない危険な場所で起こる事実を確認したりすることは困難です。

また、一人で広範囲の状況を同時に把握することは不可能だと言えます。これが、カメラや各種センサーを現場に設置し、データを収集すれば、遠隔地から熟練技術者が効率的に現場の様子を把握できるようになります。しかも、現場の装置・設備の機能や挙動をデジタルモデルとして再現するデジタルツインを活用すれば、実際の現場を目視確認するだけでは不可能だった、シミュレーション、分析、俯瞰的な可視化などが可能になります。

DX時代の現物

「現物」では、センサーやAIなどを活用することによって、人間の五感では検知できない、微細な欠陥、内部状態、わずかな変化も捉えられるようになりました。

現在では、どんなに経験豊富な技術者でも見逃してしまうような色や形状、欠陥などの些細な違いを、AIを使った画像認識によって検知できるようになってきました。さらに、AIを利用した現物の点検・検査などは、疲れ知らずで24時間365日継続的に実施可能であり、これまで抜き取り検査で確認していた生産中の仕掛品を全量検査することも可能になってきています。これによって、現物で起きていることの理解をより深化させることができます。

DX時代の現実

「現実」では、時間の経過と共に変容し続ける現場や現物の状況変化を、時系列に沿って継続的に把握し、先回りした対策を実施できるようになりました。

目視によって現実を認識する場合、どうしても特定の装置・設備のある時点での状態だけを切り出したスナップショット情報から判断することになります。このため、事実確認するタイミング以外で起きている突発的な現象や、複雑なシステム全体の相互作用や将来の状態の予測などが困難です。ICTを活用して、現場や現物の情報を継続的かつ俯瞰的に収集すれば、こうした目視では把握できなかった現実を知ることができるようになります。

また、突発的な不具合が発生した際にリアルタイムで検知したり、現場・現物の状態をデジタルデータで可視化・解析した結果を直感的かつ容易に把握したりできるようにもなります。このため、透明性が向上し、組織内での共通認識を促進することが可能です。

 変化し続ける事業環境とデータ駆動型意思決定の必要性

変化し続ける事業環境とデータ駆動型意思決定の必要性

データ駆動型の原理・原則の見直し

三現主義に基づいて獲得したエビデンスを活用して解決や改善に向けた具体的方策を効果的に策定する「五ゲン主義」の要素、「原理」と「原則」のあり方も、ICTの活用に伴って大きく様変わりしています(図6)。

図6 DX時代の「原理」「原則」

一般に、製造業では新製品の開発・投入が常に行われています。同じ仕様の製品であっても生産プロセスを見倒す例が珍しくありません。このため、生産ラインで扱う材料、生産技術は変わり続けています。課題解決や業務改善に向けた意思決定や判断を行う際の拠り所となる「原理」「原則」のあり方も、当然再定義していく必要があります。そして、原理・原則の適切かつ迅速に再定義するうえで、ICTの活用は効果的です。センサーなどで収集したデータを用いて検証・洞察・改善を繰り返せば、従来の原理・原則を継続的に検証・洗練させることができます。

また、これまでの五ゲン主義で用いていた原理・原則は、明文化した形式知でした。これがAIや機械学習のモデルを使えば、明文化が困難な暗黙知であっても、大規模データセットで訓練したモデル自体を、意思決定時のロジックを組み込んだアルゴリズムとして原理・原則を遵守する拠り所とすることができます。熟練技術者が培った言語化できなかった原理・原則も、AIモデルならば結果に再現性があるシステムにすることが可能です。これまで、暗黙知的な知見やスキルは、属人的な能力であり、継続的かつ安定的に利用することが困難でした。AIモデルを活用することで、原理・原則の適用精度は、さらに高まります。

 まとめ

まとめ

ここまで、日本の製造業の成功を支えてきた三現主義・五ゲン主義という基本原則が、DX、グローバル化、サステナビリティといった現代的な課題に直面する中で、どのようにその妥当性を維持し、進化しているか紹介してきました。事実に基づく現実認識、根本原因の追求、そして継続的改善の取り組みは、DXを実践する現代の製造業においてもその価値を失っていません。むしろ、デジタル変革はこれらの原則を置き換えるのではなく、その「実践方法」を再定義しているとみることができます。

IoT、AIといった技術は、人間の観察力、分析力、判断力を拡張・補完し、物理的な制約を超えて原則を適用することを可能にします。ただし、デジタル化は万能薬ではありません。データへの過信、視野狭窄、分析麻痺、スキルギャップ、文化的な抵抗といった新たな課題も生み出しています。これらの課題に対処し、技術の恩恵を最大限に引き出すためには、物理的な確認とデジタルな洞察を組み合わせて実践することが大切です。

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執筆者プロフィール

伊藤 元昭

富士通株式会社にて、半導体エンジニアとして、宇宙開発事業団(現JAXA)の委託による人工衛星用耐放射線半導体デバイスの開発に従事。日経BP社にて、日経マイクロデバイスおよび日経エレクトロニクスの記者、副編集長、日経BP半導体リサーチの編集長を歴任。


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